特別インタビュー
2008-11-28 Fri
森元康介
自分らしさは忘れるな!
2001年、 hitomi「IS IT YOU?」(レコード大賞金賞受賞作品)の原曲「水色」を含む3曲入りのデモテープをエイベックスに送り、作家の道を踏み出した森元康介。自身がアーティストとして活躍する事も目標に置きつつ、数々のアーティストに提供する楽曲を世に生み出している彼にインタビュー!
インタビュー
--音楽をやり始めたのは?
中学2年生の頃です。ギターを買ったのですが、バンドを組んだりっていうのはしてないです。中学から高校入るまではハードロックかヘビーメタルしか聴かなかったんですけど、高校に入ってから、ミスチルが売れて、スピッツが売れて、ウルフルズが売れてっていうような頃で、カラオケとか友達と行くようになり、だんだんJ-POPもいいなあって思うようになって。
--高校卒業して、アメリカに行ったんですよね。
そうですね、その時はギタリストになりたかったです。Mr.BIGにポール・ギルバートというギタリストがいるんですけど、その人が僕のヒーローだったんです。で、その人の行ってた学校がハリウッドにあって、夢を叶えに行ったんです。ところがその学校ではある意味、刺激を受けすぎてギタリストになるのを諦めました。先生たちが本当にすごくて、こういう人たちでも、それだけでは食べてはいけないって考えるとこれは無理だなと…。
--帰国してからどういう活動をされてましたか?
どちらかというとバンドというよりシンガーソングライターとしてひとりで活動し始めました。初めは作曲といっても自分で作って、自分で格好いいと思ってた程度で、それが人がどう受け止めるかというのはあまり考えないで作ってました。もともとプロになろうとは、そんなに強く思ってなかったんですけど、自分の好きな楽曲の中に長尾って人がクレジットされてることが多いなって気付いたころに、長尾さんが所属している会社が作曲家を募集しているっていうのを、友人が見つけてくれて、そのときつくった曲をとりあえず送ってみたんです。
--それがhitomiさんの曲に採用された時のお気持ちは?
よくわからなかったです、あまりにスムーズだったので(笑)。送ってから3ヵ月くらい間が空いてて、心の底から作曲家になりたいって思って送ったデモテープでもなかったので、ホントに忘れてたんですよ。だから、「決まったよ!」って言われても、何がどうなるのかなっ~て感じでした。
--プロになってからはどういう感じでしたか?
初めのうちはまだバイトもしていたので、平日の夜と土日を使って、要望のあったものを作っては出しっていう感じでした。半年位は曲も決まらなくて、まだその頃はプロでというより曲を作るのが好きだったので半分趣味っていう感覚でやってました。2曲目が決まった位からこれは仕事だなと。収入になって、会社にマネジメントしてもらうという関係ができ上がってきて、実際にCDも出てるし、じゃあこれでがんばっていこうかなと。
--作曲のやり方は決めてるんですか?
曲を作る時、僕は頭の中でやるんです。もちろん楽器を触りながらでもいいんですけど、自分の中でこんなのがあったら格好いいなっていう完成品を作っちゃって、録音するときはそれを再現するていう感じですね。こういう作り方はちっちゃい時から変わらず自然にそういう風になっちゃってますね。曲は、ひたすら考えるしかないですね。その考えてる作業の時は周りからみるとホントに何にもやってないように見えます(笑)。頭の中でできてから録音するまでに変わることはあまりないです。作り上げる時に偶然だったり、ひらめきだったりっていうことはあまりなくて、僕は自分が想像できないものはつくれないので、作業的には基本的に自分の引き出しから格好いいと思えるものを出していく感じです。
--作曲家として嬉しい瞬間っていうのはどういうときですか?
自分の家で曲ができ上がって、よしっと思った瞬間ですね。なので自分の曲はよく聴きます(笑)。もうひとつは、歌い手さんが実際に自分の曲を歌っているコンサートに行ったとき。 本当に感動しますね。
--これから作曲家を目指す人にアドバイスはありますか?
自分らしさは忘れるなと言いたいです。他の人が作れるようなものを作っても仕方がないので、自分が格好いいと思ったものに自信が持てることが大事だと思います。
中学2年生の頃です。ギターを買ったのですが、バンドを組んだりっていうのはしてないです。中学から高校入るまではハードロックかヘビーメタルしか聴かなかったんですけど、高校に入ってから、ミスチルが売れて、スピッツが売れて、ウルフルズが売れてっていうような頃で、カラオケとか友達と行くようになり、だんだんJ-POPもいいなあって思うようになって。
--高校卒業して、アメリカに行ったんですよね。
そうですね、その時はギタリストになりたかったです。Mr.BIGにポール・ギルバートというギタリストがいるんですけど、その人が僕のヒーローだったんです。で、その人の行ってた学校がハリウッドにあって、夢を叶えに行ったんです。ところがその学校ではある意味、刺激を受けすぎてギタリストになるのを諦めました。先生たちが本当にすごくて、こういう人たちでも、それだけでは食べてはいけないって考えるとこれは無理だなと…。
--帰国してからどういう活動をされてましたか?
どちらかというとバンドというよりシンガーソングライターとしてひとりで活動し始めました。初めは作曲といっても自分で作って、自分で格好いいと思ってた程度で、それが人がどう受け止めるかというのはあまり考えないで作ってました。もともとプロになろうとは、そんなに強く思ってなかったんですけど、自分の好きな楽曲の中に長尾って人がクレジットされてることが多いなって気付いたころに、長尾さんが所属している会社が作曲家を募集しているっていうのを、友人が見つけてくれて、そのときつくった曲をとりあえず送ってみたんです。
--それがhitomiさんの曲に採用された時のお気持ちは?
よくわからなかったです、あまりにスムーズだったので(笑)。送ってから3ヵ月くらい間が空いてて、心の底から作曲家になりたいって思って送ったデモテープでもなかったので、ホントに忘れてたんですよ。だから、「決まったよ!」って言われても、何がどうなるのかなっ~て感じでした。
--プロになってからはどういう感じでしたか?
初めのうちはまだバイトもしていたので、平日の夜と土日を使って、要望のあったものを作っては出しっていう感じでした。半年位は曲も決まらなくて、まだその頃はプロでというより曲を作るのが好きだったので半分趣味っていう感覚でやってました。2曲目が決まった位からこれは仕事だなと。収入になって、会社にマネジメントしてもらうという関係ができ上がってきて、実際にCDも出てるし、じゃあこれでがんばっていこうかなと。
--作曲のやり方は決めてるんですか?
曲を作る時、僕は頭の中でやるんです。もちろん楽器を触りながらでもいいんですけど、自分の中でこんなのがあったら格好いいなっていう完成品を作っちゃって、録音するときはそれを再現するていう感じですね。こういう作り方はちっちゃい時から変わらず自然にそういう風になっちゃってますね。曲は、ひたすら考えるしかないですね。その考えてる作業の時は周りからみるとホントに何にもやってないように見えます(笑)。頭の中でできてから録音するまでに変わることはあまりないです。作り上げる時に偶然だったり、ひらめきだったりっていうことはあまりなくて、僕は自分が想像できないものはつくれないので、作業的には基本的に自分の引き出しから格好いいと思えるものを出していく感じです。
--作曲家として嬉しい瞬間っていうのはどういうときですか?
自分の家で曲ができ上がって、よしっと思った瞬間ですね。なので自分の曲はよく聴きます(笑)。もうひとつは、歌い手さんが実際に自分の曲を歌っているコンサートに行ったとき。 本当に感動しますね。
--これから作曲家を目指す人にアドバイスはありますか?
自分らしさは忘れるなと言いたいです。他の人が作れるようなものを作っても仕方がないので、自分が格好いいと思ったものに自信が持てることが大事だと思います。